【Podcast】宝石の街・ジャイプール。歴史と宝石産業

※この記事はHASUNAのPodcast番組「Gemstone Journey 宝石と旅に出よう」2025年2月19日配信分の要約です。

インド、ジャイプールの宝石産業の魅力:ピンクシティの歴史、文化、商習慣を探る

皆様、こんにちは。HASUNAの白木夏子です。こちらは私たちのポッドキャスト「Gemstone Journey 宝石と旅に出よう」の内容をもとに、宝石の歴史や石の魅力などをお伝えして参ります。今回は、宝石の街として名高いインドのジャイプールに焦点を当て、その歴史、文化、そして独特な宝石産業について、私が訪れた時の事を交えてご紹介します。

ピンクシティ、ジャイプールの基本情報と歴史

ジャイプールは、「ピンクシティ」として世界的に知られています。この名前の由来は、1876年にイギリスのアルバート王子(ヴィクトリア女王の息子)がインドを訪問した際、当時のマハラジャ、サワイ・ジャイシン2世が王子を歓迎するために街全体をサーモンピンク色に染めたことにあります。ピンク色はインドで伝統的にホスピタリティを表す色とされており、このおもてなしに感銘を受けたアルバート王子がジャイプールを「ピンクシティ」と呼んだことから広まりました。

現在でも、ジャイプールの中心部ではピンク色以外で建物を塗ることが禁止されており、街全体が統一感のある美しい景観を保っています。

イスラム建築とジャイプールの建築様式

ジャイプール=ピンクシティ以外にも、インドにはゴールデンシティやブルーシティなどがあり、それぞれの街に特徴があります。私が訪れたゴールデンシティ(ジャイサルメール)はパキスタンに近い場所にあり、イスラム建築特有の繊細で直線的な整った建築が印象的でした。却ってジャイプールの建築様式は、イスラム建築の影響を受けてはいるものの、細部の仕上げには独特のおおらかさが見られ、例えば壁のペイントが隣の柱に飛び散っていたり、直線がガタガタだったりするところなどがより自由度の高い印象をうけました。このような自由な作風が、ジャイプールの街に独特の魅力を与えているのだと思ます。

ジャイプールの宝石産業の歴史

ジャイプールが宝石の街として発展したのは、18世紀にさかのぼります。1727年にジャイプールの街を建設したジャイ・シング2世は、宝石職人たちを積極的に招き入れ、宝石産業の基礎を築きました。19世紀から20世紀にかけては、研磨技術が発展し、世界中から注目を集めるようになりました。

現在、ジャイプールには多くの宝石工場があり、熟練した職人たちがカラーストーンの研磨に励んでいます。私はHASUNAと取引を頂いている工場の一つを見学させてもらい、職人たちが機械を使って丁寧に石を磨き上げる様子を見学することができました。工場で作業をしているのは男性が多く、非常に細かい作業に真剣に取り組んでいました。

宝石問屋街の商習慣

ジャイプールの宝石問屋街は、一般客・観光客は入れないBtoB専用の商業エリアになっていました。ここでは現金ベースでの取引が主流で、業者間の信頼関係が非常に重視されています。

東京有名な宝石の問屋街である御徒町などとは異なり、問屋街の多くは雑居ビルの中にあり、一見すると宝石店とは分からないような場所も少なくありません。雑居ビルの上にある事務所の、床に座っての取引はまるでマフィアの隠れ家にいるような気持ちになり、独特の緊張感がありました。

買い手は、売り手との交渉を通じて、徐々に奥の金庫から珍しい石を見せてもらうことができます。売り手は買い手の様子を観察しながら、少しずつ石を出してくるため、信頼関係を築くことが良い取引に繋がります。

宝石商と宗教

ジャイプールの宝石商の多くは、ジャイナ教徒です。ジャイナ教は、徹底した菜食主義を特徴とし、肉、魚、卵を一切口にしません。そのため、お土産選びも非常に難しいとされています。私もお土産選びには非常に悩みましたが、こんぺいとうを日本のお土産として持っていきました。

まとめ

ジャイプールは、美しい街並みと豊かな歴史、そして独特な宝石産業が融合した魅力的な都市です。宝石の買い付けに訪れる際には、現地の商習慣や文化を理解し、信頼できる業者との関係を築くことが重要になると思います。来週も引き続き、ジャイプールについてお話したいと思います。
どうぞお楽しみに!

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